20170721

池大雅 まだブームが来ていない日本画家 #2

池大雅(Ike no Taiga)

池大雅(Ike no Taiga)
楼閣山水図 左隻(国宝)
Wikipediaよりライセンスを確認して掲載

池大雅(いけのたいが)は江戸時代の文人画家です。1723年に京都に生まれ、黄檗山萬福寺(宇治市)で書を披露して神童と称されました。青年時代は扇などを売りながら生計を立て柳沢淇園らから文人画を学び自らの画風を確立しました。妻の玉瀾も画家です。1776年に56歳で亡くなりました。南画(というより文人画といったほうがいいかも)。

池大雅は前回紹介しました遊び人を極めた英一蝶とは対照的で真面目で堅実な印象があります。当時先進国だった中国に憧れながらも渡航することはできませんでした。与謝野蕪村とも交流があったようです。

本物かどうかわかりませんが、池大雅の書は十万円〜数十万円するようです。意外と安いですね。

池大雅「大雅堂画法」
池大雅「大雅堂画法」

池大雅は技法書「大雅堂画法」を出版しています。松石の手本からはじまり、今の漢字には無い漢字での説明と水墨画の手本が添えられています(すみません、全然読めません!)。後に登場する富岡鉄斎の荒々しい人文画と比べると池大雅の作品は静かに整えられている印象があります。

私は先ほど画風を確立したと書きましたがそれは専門家様の視点です。私の立場からはとてもそんな事は言えませんし言ってはならない気がします。

ど素人の私のイメージでは南画や北宋画の文人画は貴族の思想という印象があって果たして江戸時代の人々に受け入れられたのかどうか疑問です。俗世間から離れた視点が見る者をストレスから解放する、そこまではわかりますが、中国では朝廷を去りながらも心はどこか権力の中枢に向いているような、冤罪や処刑を恐れているものの、お呼びがかかったらいつでも馳せ参じる心意気のようなものが混ざってる気がします。ですので朝廷とはほとんど無縁の我々日本人が中国絵画の神髄をどこまで理解できたのかというと・・・知らない人がほとんどなんじゃないでしょうか。当時は野心のある者が政権に挑むことのない時代でしたから中央を追われた士大夫の心がほんとうに理解できたか疑問です。池大雅のような下級役人の息子、しかも中国との交流のない時代にどの程度の本質への理解があったか興味が湧きました。

やはり本場中国の作品などと比べると日本の水墨画も面白いですね。それで水墨画によく登場するあの山は・・・実はアレ(秘密)なんじゃないかと思ってます。日本の文人画家はその山の正体を知ることはなかったことでしょう。