20170910

南画(水墨画)の技法一覧

水墨画(南画)の技法

水墨画は日本の僧侶などが中国に留学したり書物から情報を得て日本で緩やかに発展して江戸時代後期に「南画」のアイデンティティーが明確になった絵画です。水墨画は書道に使う紙やもう少ししっかりした紙に墨の濃淡で幽玄な世界観や儒教の世界観を表現します。本家本元の南宗画と日本の南画は言葉がそっくりですが、別物です。日本の南画は本家の南宗画ほど儒教の影響は受けておらず、単純に見たままの美を表現した作品が多いです。南宗画を真似している日本人の中で、たまに差別思想まで模倣して自分の一部としている愚かな人も見かけます。そういう人はやっぱり何も自分の頭で考えていないんだなと思います。南画を選ぶ時は勘違いしないように気を付けましょう。

今回は日本画や水墨画を描くうえでの参考となるよう簡単に説明しています。

※このページは筆者の個人的な見解が含まれていますので教科書とできる内容ではありません。

目次

1. 南画とは

南画(南宗画)は江戸時代に日本に伝わった南宗画が国内で広まった絵画で墨の濃淡や時には着彩して表現します。江戸時代には狩野派、浮世絵、琳派、大和絵、四条丸山派、南画と描き方によっていくつかの様式に分かれていました。明治時代になり、南画以外の絵画は日本画としてまとめて括られるようになりました。

南画の特徴は墨の濃淡で表現された禅的な表現や、中国や朝鮮の貴族文化を模倣した理想郷や蘭や梅や松など大陸の貴族が愛でた縁起があり貴族にゆかりのある植物画によって儒教などの価値観を表現した作品がよく見られます。

浮世絵や近現代日本画が庶民の植物が多く描かれているのに対し、南画は貴族が喜ぶような植物が多く描かれているという違いがあります。

南画には中国の文人がよく描かれています。

南画は実物を見て描いた絵ではなく中国の古典に登場する情景や模倣のもととなる作品を模したものが多くあり、蘭でさえも「シュッシュッシュッ」と定番の描き方が決まっているため日本では絵画としてあまり人気がなく、床の間を飾る安い絵画の代名詞でもありました。日本画と比べて短時間でその時の気分で描けてしまうところや縁起物のコピー製品の登場で本物の掛け軸画がより安価となるなど床の間の減少も加わり欧米に追い付け追い越せの延長線上に今の時代があることも価値を下げている原因となっているかもしれません。

また、詩経を建前に中国大陸にて腐敗や差別、むごたらしい支配と搾取を招き束縛が発展を遅らせたという負の側面が現代の平等と自由の価値観と真逆であるということも人々が南画のような水墨画を避けて通る原因となっているかもしれません。南画の基準である聖(雅、高貴、風流、崇高、貴族的)と俗を区別し俗を見下しこき下ろす価値観も差別に繋がり現代の価値観とは真逆で俗である多数派の人々の現実を無視した価値観も今の価値観と比べると大衆性が無いのでイマイチということになります。高潔な聖なるファンタジーに酔いしれている人のどこが、一体どれほど優れているというのでしょうか?俗なるものを否定して差別して自分の俗を棚の上に上げて偉そうに威張っていた時代はとっくに終わりました。もしも中国の水墨画が俗っぽいところが主流となり作品に高い値がつけば、日本の水墨画も手のひらを返したように俗を模倣する人々が現れるでしょう。結局のところ人とはその程度のもので風向きが変われば固執していた価値観もコロッと変わるものです。


張家界
張家界
南画によく登場する風景は、中国の南方の風景とよく似ていると思います。朝廷のことなど忘れてしまいそうな風景です。日本人が見たことのないこのような山の絵を描くと真似事のように思えてきます。しかし真似事であっても極めれば山や文人を描く本当の意味や実物を知らなくても見事な作品になるのも事実です。

山を見ずして山を描く、蘭を見ずして蘭を描く、竹を見ずして竹を描く、そうやって日本の水墨画は楽しまれてきました。

しかし水墨画の起源には実際に山を見て山を描いた人がいたのであり、それに感銘を受けて追随者が出た歴史があるはずです。その意味が失われ様式だけが受け継がれて意味が無意味となり形骸化したものがある時点での水墨画や日本画であり、物を見ずして物を描くことや写真をもとに絵を描くことは果たして芸術と言えるのか私は疑問です。

2. 道具

南画に使われる紙は画仙紙が基本です。しかし現代絵画と同じ額に入れるのであれば、日本画と同じ紙でも礬水を引いてないものであれば使えます。必要に応じて礬砂を引きます。

基本は付立筆を使います。長い穂に墨を付けると筆の中で濃淡が生まれます。それ以外は日本画と同じ筆を使います。

墨には油煙墨と松煙墨があります。青墨が人気です。蘭奢待が定評があります。画墨と書堂墨と区別があります。硯はゆったりとした大き目のものが好まれます。墨にも色があります。


絵具

顔彩など粒子の細かい日本画用の絵具が水墨画にも用いられます。特に何々でなければという決まりはありません。水彩絵具でも使えます。

いろいろな道具類

南画は下敷きとなるフェルトなどの布と文鎮、絵皿、筆洗が必要です。

3 .技法

南画の運筆法は他の日本画と異なり、より形式的です。

筆の持ち方1(双鉤法、そうこうほう)

筆の持ち方は書道と同じでほぼ垂直に筆を立てて親指と人差し指で軸をつまみ、中指と薬指の間でも筆を挟んで支えるようにして持ちます。力まず落ち着いてゆったりと構えます。筆の軸は真ん中より少し下のほうを持ちます。双鉤法は水墨画の醍醐味である太くてゆったりとした濃淡のある線を描く基本の持ち方です。

筆の持ち方2(単鉤法、たんこうほう)

いわゆる鉛筆の持ち方と同じです。誰でも無意識にしている持ち方です。

筆の持ち方3(執筆法)

筆の軸の下から4分の1ほどの下のあたりを持ちます。書道の懸腕法(肘や腕が机に触れず空中に浮かせる)、提腕法(机に腕を設置する)、枕腕法(左手を伏せて右腕のための枕とする)と同じ持ち方です。

墨の混ぜ方

硯で溶き下ろした墨は筆の穂先に少し付け、絵皿に取ります。絵皿に墨を置くといっても筆に取った墨を皿に写すというよりは皿を使って墨のついた筆の調子を整えるといったほうが近いです。前後左右に筆の穂をしならせ、皿の奥のほうに濃墨、手前に薄墨ができるようにします。穂の根本に薄墨、真ん中に中墨、先端に濃墨がくるようにします。そうやって筆の穂に濃淡をつけた状態で描くと濃墨から薄墨までの階調(グラデーション)を一筆で描くことができます。

直筆(運筆法)

軸を垂直に立てて線を引きます。重厚な線になります。懸腕直筆という腕を浮かせて垂直に描くのが昔ながらの基本で傍目から描いている人が立派に見えます。

側筆(運筆法)

軸を手前にやや傾けて線を引きます。鋭く軽やかな線になります。

蔵鋒(ぞうほう 運筆法)

線を引いた時に穂先の跡が線の内側に収まっている運筆法です。直筆で蔵鋒の状態になります。線とはじまりと終わりが丸みを帯びたり鈍角になっています。

露鋒(ろほう 運筆法)

線を引いた時に穂先の跡が線の外側に出る状態を露鋒と言います。側筆で露鋒の状態になります。下品と見下されることもあります。なぜなら次に述べる圭角が出やすいからです。線のはじまりと終わりが三角、鋭角になっています。

圭角

角だった硬い運筆で南画では下品と見下されます。

見下される線

平坦で安易で軽薄な線です。ですが水墨画以外の世界では均一な線をアートとして評価する場合もあります。

好まれる線

重厚で厚みがあり柔らかい線。抑揚ある線。筆圧の強弱と速度を加減した線。南画では線が重要視さます。

順筆

上から下に引きます。左右については利き手もあるので引きやすい方向を順筆といいます。

逆筆

下から上に引きます。

用墨法の基本

一筆で濃淡を表現します。絵皿の中でよく墨を調節します。描き始めたら墨が枯れるまで線を引き続けます。

付立法

幅の広い線を一筆で描きます。輪郭線のない没骨法のひとつでのような面を表します。穂の腹を使います。

鈎勒法(こうろくほう)

細い線で輪郭を表します。の輪郭を挟むように2度に分けて描きます。日本画でも用いられる技法です。誰でも無意識のうちにやってるやり方でもあります。

潤筆と渇筆

筆の水分量によりみずみずしく描けたりかすれを作ることができます。渇筆は木の枝や山の輪郭によく用いられます。誰でも無意識のうちにやってるやり方でもあります。

淡濃

水分量が多く薄い墨となります。

中墨

中庸で水分と墨が半分程度です。

濃墨

墨の割合が多いです。

焦墨

水を加えない濃い墨です。

破墨法

はじめに淡墨で輪郭を描き、内側に淡墨と中墨を塗り、最後に濃墨で淡墨の輪郭を破るといわれています。

撥墨法

濃墨で輪郭を描き、内側を淡墨と中墨で描くといわれています。

積墨法

淡墨を何度か塗り重ねます。中国の龔賢(きょうけん)が考案したともいわれていますが、誰でも無意識のうちにやってるやり方でもあります。

彩色法

顔彩などで着色します。

用語リスト

技法以外で水墨画でよく使われる言葉です。

四君子

です。蘭は世間に認められずとも高潔に士大夫(=儒学者といいますか、文官)として生きるさまを象徴しています。竹は苦難でも折れず心に何のわだかまりもなくさっぱりと士大夫として生きることを象徴しています。梅は厳しい冬を乗り越え花を咲かせるさまを人生の理想になぞらえています。菊は他の花が枯れたり腐ったりした頃に咲くことから、そのような世の中でも高潔な儒者として生きることを象徴しています。

いずれも中国や朝鮮の貴族に限られた価値観であり、現実にはそれ以下の人々は見下されるべき「物(人ではない)」として考えられていました。

この価値観は中央の政治とは無縁の日本人には理解しにくいかと思いますが、貴族で朝廷に出仕できる身分の世界の中だけで培われた価値観であることを覚えておいたほうがよいでしょう。

共感できるところもありますが、それはあくまで貴族で儒教を経典として最重要視していた支配者の人々のための思想です。官職と領地と奴隷を得ている限り、苦難に遭って朝廷に出仕できずとも領土と領地があるので食いっぱぐれることなく扇を仰いで生活することのできた立場だからこそ、このような思想が生まれ朝廷に向かって古い古い儒教を根拠として「だめです。なりません。反逆罪で死刑です。」を連呼して他人の足を嫉妬と敵意で引っ張り下ろし、時代を停滞させることが可能だったのです。

つまり当時は正論と言われた儒教が他人を蹴落として殺すための武器として利用されてきました。

水墨画の美しい思想にはそのような表面(側面とはいいがたい)もあったということです。日本にはそこまで大陸の実情が伝わらなかったかもしれませんね。

今では四君子は形式的な練習のお手本として誰もが最初に取り掛かる課題となっているようです。「芥子園花画伝」もお手本として用いられてきました。

蘭の描き方

蘭の葉は根本から葉先の向かって一筆で付立で描きます。手前の葉を一番最初に濃墨で描き、後ろは淡墨で描きます。花は唇→花びら→茎の順番で、茎は花の後に描きます。

竹の描き方


竹の幹は下(根本)から上(淡墨)、下から上とグッと節ごとに上に向かうように描き上げていきます。節は濃墨で後から墨を付け足して描き入れます。葉は中心から外に向かって濃墨を使い側筆で中心の葉から外側の葉の順番で描きます。

私もよくやりましたが、竹は簡単で描きやすくていいです(笑)

梅の描き方

梅は枝から描き、花は後にします。運筆は枝の付け根から先に向かいます。花弁は一筆または二筆で描きます。

花の花弁の書き順は外から中心に向かう場合と、中心から外に向かう場合があります。
(筆者は片方の方法のみが正しいと習いましたが・・・どっちでもいいという人もいるのですね。)

梅の枝を描くことは蘭や竹より奥深いです。描きごたえがあります。

写生と模写

水墨画はお手本を模写する方法と実物を写生する方法があります。ある程度上達しようと思うと模倣する能力とデッサン力、どちらの能力も必要です。

山水

山水画

江戸時代やそれ以前から中国の山水画は模倣の対象となってきました。中国の古典から理想郷を連想し、みたことのない山々を思い描いて山水が日本で描かれてきました。もしかしたら今の人の理想はテレビや映画の世界観かもしれませんが、さすがにそれを山水画で作品化した人はほとんど見かけませんが、そのような水墨画があってもおかしくはありません(偉い人から下品と差別されるでしょうが、本質的には古典の理想だろうがテレビや小説の理想郷だろうが同じです)。日本の山水画は皆似たり寄ったり誰かの物真似であることが多く、どの絵を見ても似たような山水であることからかえって安っぽく見られてしまうこともあるかもしれません。自力で手本をコピーしたような作品ではオリジナルの貴重さに価値が負けてしまうのは当然です。しかしいずれの作品においても山水で重要なことは作品の意図、つまり作者の心です。心情や世の中に向かって言いたいことを風景になぞらえて表現することが山水の神髄であると私は思います。作品に見事な漢詩を添えることができればより深みは増します。高官のお嬢様を口説く時にも山水画に美しい詩を添えるとイチコロです(笑)南画も日本画の世界でもただ描きました、というだけでは高い評価は得られないところは共通しています。

画の六法

南斉の謝赫(しゃかく)による画論である『古画品録』に始まる6種の法則です。以下はWikipediaより引用しました。
  • 気韻生動:迫真的な気品を感じ取ることが可能であること。
  • 骨法用筆:明確な描線で対象を的確にあらわすこと。
  • 応物象形:対象の形体を的確にあらわすこと。
  • 随類賦彩:対象の色彩を的確にあらわすこと。
  • 経営位置:画面の構成。
  • 伝移模写:古画を模写すること。

気韻生動

気品が高く風格があり生き生きとしている様。日本の南画で好まれるとされる価値観でオリジナルは中国の絵の指南書です。残念ながらこの価値観ですら模倣です。
「気韻は学ぶことができないもので天から授かっている・・・しかし万巻の書を読み万里の路を行けば自ずと胸中に自然が映し出ようになる、心が清浄であれば手の赴くままに描いても山水の神髄を写した画ができる」と言ったのは中国の学者、董其昌(とう きしょう)の言葉です。董其昌の作品はもくもくとキノコが生えるかのような山水が特徴で康煕帝(清の皇帝)にその詩が気に入られました。つまりもともとの貴族の身分にくわえ、それ相応の学問を修めて詩経に通じ、皇帝を怒らせることなく儒学の心地よい話ができなければ高い評価は得られないということでもあります。皇帝と話すことが許される者はいくつかの詩や経典を暗唱できるレベルであったことは察するに難くありません。ちなみにこの董其昌という人物は高利貸しをして美術品を蒐集し民衆の間で悪名が高く還暦で童女を妾にしたり、民衆から少なくとも二度の襲撃を受けたそうで画聖と称えられる人物の本性が歴史に残っています。日本人はそんなことも知らずに庶民の言葉でいえばクソ野郎でもある董其昌を崇めて模倣していたのです。このような悪人が何々が良いと言った偽りの言葉(偽善)を信じて疑わない人もいるようです。悪人の作った絵を良い作品だ名作だと思い込んでいる私たちは「だれだれの画家は功名で偉いから」とまさに「心を見ず」して偽の情報に騙されて、特に高名な人間ほどあたかも「心意」がわかったかのように偉そうにして判断を下しているだけなのです。本当は信じてはいけないにもかかわらず。偽善者が描き、あるいは偽の価値観を信じ込んで作られた作品は果たして本物だといえるでしょうか?それこそ南画が重要とする清い心を本当にお持ちの人に問いたいです。この人の言葉が真実なら董其昌より多くの書物を読んで偉人たちよりも無欲に生きているかもしれない筆者はとっくに偉人になってるはずです(笑)庶民の言葉で言えば、クソが自分に忠誠を誓うクソを引き立て権力者や金持ちとつるんでお金儲けをさせてあげている、そういう人が東アジアの画壇も世の中も支配しているのです。偉い人に清い言葉や大義が必要なのは、醜い本心を隠すためなのです。悪人ほど善を強調しきれいな言葉を使いたがるものです。ですから大義を掲げる者ほど本心を疑ってかかるべき人物はいないでしょう。きれいな言葉で話さなくとも、本をたくさん読まなくとも、美しい言葉遣いをする人間より清く生きている人たちは大勢いるのが世の中というものです。結局のところ作品の良しあしを決める基準は「心」ではないことは間違いありません。なぜならむごたらしい罪を犯した者が作った芸術品や、多くの者を直接・間接的に苦しめたり殺したりした権力者が作らせた作品でさえ高い価値が付くからです。要は金持ちと権力者にどれほど作品が気に入られるかが歴史に名画として残る決定打となるのです。この世で最も清い心の人間が作った絵が高い価値を持つのであれば、児童が描いた絵は最高の名画で高い値がつくべきです。しかしそのような作品はゴミとして捨てられるのが現実です。この上ない高い値打ちの墨と普通の墨を見分けられる画家が本当にいるでしょうか?今では構図や塗り方など決まりきった事柄を満たしていないと、美術界ではそれだけでゴミだと判断を下す偉い人であふれています。

構図法

構図は作品の見栄えを決定する重要な技法です。郭熙が三遠法(高遠法、平遠法、深遠法)をまとめました(考案したという意味ではありません)。中国では散点透視(散點透視)という構図法があり西洋の三点透視図法ではなく、いくつもの消失点を持っています。

高遠法

高遠法

麓から山頂を見上げる構図です。中国では記念碑的構図ともいうそうです。山を下から仰ぎ見る感じです。日本でいえば、麓から富士山を見上げるような感じです。

平遠法

平遠法
何永祥
山の頂から遠くを眺める構図です。深遠法よりも広い範囲が描かれます。日本でいえば、中央アルプスから南アルプスを望むような感じです。

深遠法

山の頂から山奥の頂を眺める構図です。中国の夏山高隱圖や煙江遠眺圖が深遠法に該当します。中国ではS字形構図や之字(ジグザグ)構図も深遠法に似ていると言われています。いくつもの山が奥に連なるような様子を上から見下ろす、高い所から山々と麓をクローズアップして見下ろす感じです。透視図法に慣れた人が見ると山が上にせり出しているように見えますので注意深く見なければわかりません。例えば、東京タワーから前の通りを見下ろすような感じです。

迷遠法

迷遠法
石濤
道が蛇行しながら山奥に迷い込む構図です。例えば、日光のいろは坂のような。

幽遠法

山の谷間に遠山がかすんだように見える構図です。

空気遠近法

空気遠近法
手前を濃く、遠くを淡く描く手法です。

逆遠近法

逆遠近法
ブッダの涅槃図(ニルヴァーナ)
手前を小さく、最も強調したい場所を大きく描く方法です。

透視図法

二点透視図法
二点透視図法
現代で標準的な遠近法です。一点透視図法と二点透視図法、三点透視図法、零点透視図法があります。

色彩遠近法

遠くの景色が手前の景色とは異なる色に見えることを絵で表現します。

黄金比

黄金比
一時ブームとなった比率です。必ずしも黄金比がよいとは限りません。

おすすめ南画の教習本

より詳しく南画(水墨画)を知りたい、このページの内容を深めたい方には次に紹介する本がおすすめです。
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