20170910

南画(水墨画)の技法一覧

水墨画(南画)の技法

水墨画は日本の僧侶などが中国に留学したり書物から情報を得て日本で緩やかに発展して江戸時代後期に「南画」のアイデンティティーが明確になった絵画です。水墨画は書道に使う紙やもう少ししっかりした紙に墨の濃淡で幽玄な世界観や儒教の世界観を表現します。本家本元の南宗画と日本の南画は言葉がそっくりですが、別物です。日本の南画は本家の南宗画ほど儒教の影響は受けておらず、単純に見たままの美を表現した作品が多いです。南宗画を真似している日本人の中で、たまに差別思想まで模倣して自分の一部としている愚かな人も見かけます。そういう人はやっぱり何も自分の頭で考えていないんだなと思います。南画を選ぶ時は勘違いしないように気を付けましょう。

今回は日本画や水墨画を描くうえでの参考となるよう簡単に説明しています。

※このページは筆者の個人的な見解が含まれていますので教科書とできる内容ではありません。

目次

1. 南画とは

南画(南宗画)は江戸時代に日本に伝わった南宗画が国内で広まった絵画で墨の濃淡や時には着彩して表現します。江戸時代には狩野派、浮世絵、琳派、大和絵、四条丸山派、南画と描き方によっていくつかの様式に分かれていました。明治時代になり、南画以外の絵画は日本画としてまとめて括られるようになりました。

南画の特徴は墨の濃淡で表現された禅的な表現や、中国や朝鮮の貴族文化を模倣した理想郷や蘭や梅や松など大陸の貴族が愛でた縁起があり貴族にゆかりのある植物画によって儒教などの価値観を表現した作品がよく見られます。

浮世絵や近現代日本画が庶民の植物が多く描かれているのに対し、南画は貴族が喜ぶような植物が多く描かれているという違いがあります。

南画には中国の文人がよく描かれています。

南画は実物を見て描いた絵ではなく中国の古典に登場する情景や模倣のもととなる作品を模したものが多くあり、蘭でさえも「シュッシュッシュッ」と定番の描き方が決まっているため日本では絵画としてあまり人気がなく、床の間を飾る安い絵画の代名詞でもありました。日本画と比べて短時間でその時の気分で描けてしまうところや縁起物のコピー製品の登場で本物の掛け軸画がより安価となるなど床の間の減少も加わり欧米に追い付け追い越せの延長線上に今の時代があることも価値を下げている原因となっているかもしれません。

また、詩経を建前に中国大陸にて腐敗や差別、むごたらしい支配と搾取を招き束縛が発展を遅らせたという負の側面が現代の平等と自由の価値観と真逆であるということも人々が南画のような水墨画を避けて通る原因となっているかもしれません。南画の基準である聖(雅、高貴、風流、崇高、貴族的)と俗を区別し俗を見下しこき下ろす価値観も差別に繋がり現代の価値観とは真逆で俗である多数派の人々の現実を無視した価値観も今の価値観と比べると大衆性が無いのでイマイチということになります。高潔な聖なるファンタジーに酔いしれている人のどこが、一体どれほど優れているというのでしょうか?俗なるものを否定して差別して自分の俗を棚の上に上げて偉そうに威張っていた時代はとっくに終わりました。もしも中国の水墨画が俗っぽいところが主流となり作品に高い値がつけば、日本の水墨画も手のひらを返したように俗を模倣する人々が現れるでしょう。結局のところ人とはその程度のもので風向きが変われば固執していた価値観もコロッと変わるものです。


張家界
張家界
南画によく登場する風景は、中国の南方の風景とよく似ていると思います。朝廷のことなど忘れてしまいそうな風景です。日本人が見たことのないこのような山の絵を描くと真似事のように思えてきます。しかし真似事であっても極めれば山や文人を描く本当の意味や実物を知らなくても見事な作品になるのも事実です。

山を見ずして山を描く、蘭を見ずして蘭を描く、竹を見ずして竹を描く、そうやって日本の水墨画は楽しまれてきました。

しかし水墨画の起源には実際に山を見て山を描いた人がいたのであり、それに感銘を受けて追随者が出た歴史があるはずです。その意味が失われ様式だけが受け継がれて意味が無意味となり形骸化したものがある時点での水墨画や日本画であり、物を見ずして物を描くことや写真をもとに絵を描くことは果たして芸術と言えるのか私は疑問です。

2. 道具

南画に使われる紙は画仙紙が基本です。しかし現代絵画と同じ額に入れるのであれば、日本画と同じ紙でも礬水を引いてないものであれば使えます。必要に応じて礬砂を引きます。

基本は付立筆を使います。長い穂に墨を付けると筆の中で濃淡が生まれます。それ以外は日本画と同じ筆を使います。

墨には油煙墨と松煙墨があります。青墨が人気です。蘭奢待が定評があります。画墨と書堂墨と区別があります。硯はゆったりとした大き目のものが好まれます。墨にも色があります。


絵具

顔彩など粒子の細かい日本画用の絵具が水墨画にも用いられます。特に何々でなければという決まりはありません。水彩絵具でも使えます。

いろいろな道具類

南画は下敷きとなるフェルトなどの布と文鎮、絵皿、筆洗が必要です。

3 .技法

南画の運筆法は他の日本画と異なり、より形式的です。

筆の持ち方1(双鉤法、そうこうほう)

筆の持ち方は書道と同じでほぼ垂直に筆を立てて親指と人差し指で軸をつまみ、中指と薬指の間でも筆を挟んで支えるようにして持ちます。力まず落ち着いてゆったりと構えます。筆の軸は真ん中より少し下のほうを持ちます。双鉤法は水墨画の醍醐味である太くてゆったりとした濃淡のある線を描く基本の持ち方です。

筆の持ち方2(単鉤法、たんこうほう)

いわゆる鉛筆の持ち方と同じです。誰でも無意識にしている持ち方です。

筆の持ち方3(執筆法)

筆の軸の下から4分の1ほどの下のあたりを持ちます。書道の懸腕法(肘や腕が机に触れず空中に浮かせる)、提腕法(机に腕を設置する)、枕腕法(左手を伏せて右腕のための枕とする)と同じ持ち方です。

墨の混ぜ方

硯で溶き下ろした墨は筆の穂先に少し付け、絵皿に取ります。絵皿に墨を置くといっても筆に取った墨を皿に写すというよりは皿を使って墨のついた筆の調子を整えるといったほうが近いです。前後左右に筆の穂をしならせ、皿の奥のほうに濃墨、手前に薄墨ができるようにします。穂の根本に薄墨、真ん中に中墨、先端に濃墨がくるようにします。そうやって筆の穂に濃淡をつけた状態で描くと濃墨から薄墨までの階調(グラデーション)を一筆で描くことができます。

直筆(運筆法)

軸を垂直に立てて線を引きます。重厚な線になります。懸腕直筆という腕を浮かせて垂直に描くのが昔ながらの基本で傍目から描いている人が立派に見えます。

側筆(運筆法)

軸を手前にやや傾けて線を引きます。鋭く軽やかな線になります。

蔵鋒(ぞうほう 運筆法)

線を引いた時に穂先の跡が線の内側に収まっている運筆法です。直筆で蔵鋒の状態になります。線とはじまりと終わりが丸みを帯びたり鈍角になっています。

露鋒(ろほう 運筆法)

線を引いた時に穂先の跡が線の外側に出る状態を露鋒と言います。側筆で露鋒の状態になります。下品と見下されることもあります。なぜなら次に述べる圭角が出やすいからです。線のはじまりと終わりが三角、鋭角になっています。

圭角

角だった硬い運筆で南画では下品と見下されます。

見下される線

平坦で安易で軽薄な線です。ですが水墨画以外の世界では均一な線をアートとして評価する場合もあります。

好まれる線

重厚で厚みがあり柔らかい線。抑揚ある線。筆圧の強弱と速度を加減した線。南画では線が重要視さます。

順筆

上から下に引きます。左右については利き手もあるので引きやすい方向を順筆といいます。

逆筆

下から上に引きます。

用墨法の基本

一筆で濃淡を表現します。絵皿の中でよく墨を調節します。描き始めたら墨が枯れるまで線を引き続けます。

付立法

幅の広い線を一筆で描きます。輪郭線のない没骨法のひとつでのような面を表します。穂の腹を使います。

鈎勒法(こうろくほう)

細い線で輪郭を表します。の輪郭を挟むように2度に分けて描きます。日本画でも用いられる技法です。誰でも無意識のうちにやってるやり方でもあります。

潤筆と渇筆

筆の水分量によりみずみずしく描けたりかすれを作ることができます。渇筆は木の枝や山の輪郭によく用いられます。誰でも無意識のうちにやってるやり方でもあります。

淡濃

水分量が多く薄い墨となります。

中墨

中庸で水分と墨が半分程度です。

濃墨

墨の割合が多いです。

焦墨

水を加えない濃い墨です。

破墨法

はじめに淡墨で輪郭を描き、内側に淡墨と中墨を塗り、最後に濃墨で淡墨の輪郭を破るといわれています。

撥墨法

濃墨で輪郭を描き、内側を淡墨と中墨で描くといわれています。

積墨法

淡墨を何度か塗り重ねます。中国の龔賢(きょうけん)が考案したともいわれていますが、誰でも無意識のうちにやってるやり方でもあります。

彩色法

顔彩などで着色します。

用語リスト

技法以外で水墨画でよく使われる言葉です。

四君子

です。蘭は世間に認められずとも高潔に士大夫(=儒学者といいますか、文官)として生きるさまを象徴しています。竹は苦難でも折れず心に何のわだかまりもなくさっぱりと士大夫として生きることを象徴しています。梅は厳しい冬を乗り越え花を咲かせるさまを人生の理想になぞらえています。菊は他の花が枯れたり腐ったりした頃に咲くことから、そのような世の中でも高潔な儒者として生きることを象徴しています。

いずれも中国や朝鮮の貴族に限られた価値観であり、現実にはそれ以下の人々は見下されるべき「物(人ではない)」として考えられていました。

この価値観は中央の政治とは無縁の日本人には理解しにくいかと思いますが、貴族で朝廷に出仕できる身分の世界の中だけで培われた価値観であることを覚えておいたほうがよいでしょう。

共感できるところもありますが、それはあくまで貴族で儒教を経典として最重要視していた支配者の人々のための思想です。官職と領地と奴隷を得ている限り、苦難に遭って朝廷に出仕できずとも領土と領地があるので食いっぱぐれることなく扇を仰いで生活することのできた立場だからこそ、このような思想が生まれ朝廷に向かって古い古い儒教を根拠として「だめです。なりません。反逆罪で死刑です。」を連呼して他人の足を嫉妬と敵意で引っ張り下ろし、時代を停滞させることが可能だったのです。

つまり当時は正論と言われた儒教が他人を蹴落として殺すための武器として利用されてきました。

水墨画の美しい思想にはそのような表面(側面とはいいがたい)もあったということです。日本にはそこまで大陸の実情が伝わらなかったかもしれませんね。

今では四君子は形式的な練習のお手本として誰もが最初に取り掛かる課題となっているようです。「芥子園花画伝」もお手本として用いられてきました。

蘭の描き方

蘭の葉は根本から葉先の向かって一筆で付立で描きます。手前の葉を一番最初に濃墨で描き、後ろは淡墨で描きます。花は唇→花びら→茎の順番で、茎は花の後に描きます。

竹の描き方


竹の幹は下(根本)から上(淡墨)、下から上とグッと節ごとに上に向かうように描き上げていきます。節は濃墨で後から墨を付け足して描き入れます。葉は中心から外に向かって濃墨を使い側筆で中心の葉から外側の葉の順番で描きます。

私もよくやりましたが、竹は簡単で描きやすくていいです(笑)

梅の描き方

梅は枝から描き、花は後にします。運筆は枝の付け根から先に向かいます。花弁は一筆または二筆で描きます。

花の花弁の書き順は外から中心に向かう場合と、中心から外に向かう場合があります。
(筆者は片方の方法のみが正しいと習いましたが・・・どっちでもいいという人もいるのですね。)

梅の枝を描くことは蘭や竹より奥深いです。描きごたえがあります。

写生と模写

水墨画はお手本を模写する方法と実物を写生する方法があります。ある程度上達しようと思うと模倣する能力とデッサン力、どちらの能力も必要です。

山水

山水画

江戸時代やそれ以前から中国の山水画は模倣の対象となってきました。中国の古典から理想郷を連想し、みたことのない山々を思い描いて山水が日本で描かれてきました。もしかしたら今の人の理想はテレビや映画の世界観かもしれませんが、さすがにそれを山水画で作品化した人はほとんど見かけませんが、そのような水墨画があってもおかしくはありません(偉い人から下品と差別されるでしょうが、本質的には古典の理想だろうがテレビや小説の理想郷だろうが同じです)。日本の山水画は皆似たり寄ったり誰かの物真似であることが多く、どの絵を見ても似たような山水であることからかえって安っぽく見られてしまうこともあるかもしれません。自力で手本をコピーしたような作品ではオリジナルの貴重さに価値が負けてしまうのは当然です。しかしいずれの作品においても山水で重要なことは作品の意図、つまり作者の心です。心情や世の中に向かって言いたいことを風景になぞらえて表現することが山水の神髄であると私は思います。作品に見事な漢詩を添えることができればより深みは増します。高官のお嬢様を口説く時にも山水画に美しい詩を添えるとイチコロです(笑)南画も日本画の世界でもただ描きました、というだけでは高い評価は得られないところは共通しています。

画の六法

南斉の謝赫(しゃかく)による画論である『古画品録』に始まる6種の法則です。以下はWikipediaより引用しました。
  • 気韻生動:迫真的な気品を感じ取ることが可能であること。
  • 骨法用筆:明確な描線で対象を的確にあらわすこと。
  • 応物象形:対象の形体を的確にあらわすこと。
  • 随類賦彩:対象の色彩を的確にあらわすこと。
  • 経営位置:画面の構成。
  • 伝移模写:古画を模写すること。

気韻生動

気品が高く風格があり生き生きとしている様。日本の南画で好まれるとされる価値観でオリジナルは中国の絵の指南書です。残念ながらこの価値観ですら模倣です。
「気韻は学ぶことができないもので天から授かっている・・・しかし万巻の書を読み万里の路を行けば自ずと胸中に自然が映し出ようになる、心が清浄であれば手の赴くままに描いても山水の神髄を写した画ができる」と言ったのは中国の学者、董其昌(とう きしょう)の言葉です。董其昌の作品はもくもくとキノコが生えるかのような山水が特徴で康煕帝(清の皇帝)にその詩が気に入られました。つまりもともとの貴族の身分にくわえ、それ相応の学問を修めて詩経に通じ、皇帝を怒らせることなく儒学の心地よい話ができなければ高い評価は得られないということでもあります。皇帝と話すことが許される者はいくつかの詩や経典を暗唱できるレベルであったことは察するに難くありません。ちなみにこの董其昌という人物は高利貸しをして美術品を蒐集し民衆の間で悪名が高く還暦で童女を妾にしたり、民衆から少なくとも二度の襲撃を受けたそうで画聖と称えられる人物の本性が歴史に残っています。日本人はそんなことも知らずに庶民の言葉でいえばクソ野郎でもある董其昌を崇めて模倣していたのです。このような悪人が何々が良いと言った偽りの言葉(偽善)を信じて疑わない人もいるようです。悪人の作った絵を良い作品だ名作だと思い込んでいる私たちは「だれだれの画家は功名で偉いから」とまさに「心を見ず」して偽の情報に騙されて、特に高名な人間ほどあたかも「心意」がわかったかのように偉そうにして判断を下しているだけなのです。本当は信じてはいけないにもかかわらず。偽善者が描き、あるいは偽の価値観を信じ込んで作られた作品は果たして本物だといえるでしょうか?それこそ南画が重要とする清い心を本当にお持ちの人に問いたいです。この人の言葉が真実なら董其昌より多くの書物を読んで偉人たちよりも無欲に生きているかもしれない筆者はとっくに偉人になってるはずです(笑)庶民の言葉で言えば、クソが自分に忠誠を誓うクソを引き立て権力者や金持ちとつるんでお金儲けをさせてあげている、そういう人が東アジアの画壇も世の中も支配しているのです。偉い人に清い言葉や大義が必要なのは、醜い本心を隠すためなのです。悪人ほど善を強調しきれいな言葉を使いたがるものです。ですから大義を掲げる者ほど本心を疑ってかかるべき人物はいないでしょう。きれいな言葉で話さなくとも、本をたくさん読まなくとも、美しい言葉遣いをする人間より清く生きている人たちは大勢いるのが世の中というものです。結局のところ作品の良しあしを決める基準は「心」ではないことは間違いありません。なぜならむごたらしい罪を犯した者が作った芸術品や、多くの者を直接・間接的に苦しめたり殺したりした権力者が作らせた作品でさえ高い価値が付くからです。要は金持ちと権力者にどれほど作品が気に入られるかが歴史に名画として残る決定打となるのです。この世で最も清い心の人間が作った絵が高い価値を持つのであれば、児童が描いた絵は最高の名画で高い値がつくべきです。しかしそのような作品はゴミとして捨てられるのが現実です。この上ない高い値打ちの墨と普通の墨を見分けられる画家が本当にいるでしょうか?今では構図や塗り方など決まりきった事柄を満たしていないと、美術界ではそれだけでゴミだと判断を下す偉い人であふれています。

構図法

構図は作品の見栄えを決定する重要な技法です。郭熙が三遠法(高遠法、平遠法、深遠法)をまとめました(考案したという意味ではありません)。中国では散点透視(散點透視)という構図法があり西洋の三点透視図法ではなく、いくつもの消失点を持っています。

高遠法

高遠法

麓から山頂を見上げる構図です。中国では記念碑的構図ともいうそうです。山を下から仰ぎ見る感じです。日本でいえば、麓から富士山を見上げるような感じです。

平遠法

平遠法
何永祥
山の頂から遠くを眺める構図です。深遠法よりも広い範囲が描かれます。日本でいえば、中央アルプスから南アルプスを望むような感じです。

深遠法

山の頂から山奥の頂を眺める構図です。中国の夏山高隱圖や煙江遠眺圖が深遠法に該当します。中国ではS字形構図や之字(ジグザグ)構図も深遠法に似ていると言われています。いくつもの山が奥に連なるような様子を上から見下ろす、高い所から山々と麓をクローズアップして見下ろす感じです。透視図法に慣れた人が見ると山が上にせり出しているように見えますので注意深く見なければわかりません。例えば、東京タワーから前の通りを見下ろすような感じです。

迷遠法

迷遠法
石濤
道が蛇行しながら山奥に迷い込む構図です。例えば、日光のいろは坂のような。

幽遠法

山の谷間に遠山がかすんだように見える構図です。

空気遠近法

空気遠近法
手前を濃く、遠くを淡く描く手法です。

逆遠近法

逆遠近法
ブッダの涅槃図(ニルヴァーナ)
手前を小さく、最も強調したい場所を大きく描く方法です。

透視図法

二点透視図法
二点透視図法
現代で標準的な遠近法です。一点透視図法と二点透視図法、三点透視図法、零点透視図法があります。

色彩遠近法

遠くの景色が手前の景色とは異なる色に見えることを絵で表現します。

黄金比

黄金比
一時ブームとなった比率です。必ずしも黄金比がよいとは限りません。

おすすめ南画の教習本

より詳しく南画(水墨画)を知りたい、このページの内容を深めたい方には次に紹介する本がおすすめです。
掲載した画像はクリエイティブコモンズのライセンスに基づいています。

20170724

川端龍子(かわばたりゅうし)明治日本画家の挑戦 #3

川端龍子(かわばたりゅうし)自己中心的で野心的な日本画家

川端龍子(かわばたりゅうし)
Wikipediaよりライセンスを確認して転載

川端龍子(かわばたりゅうし)は東京の浅草寺本堂の龍の天井画を描いた日本画家です。大衆を意識して大きな画面と大胆な構図、裏が無く躍動感のある作品が特徴です。日の丸の戦闘機を描いたり金閣寺炎上の話題作、大衆の心理を意識した作風で名をはせました。

作品「鳴門」では大きな屏風に青い海、渦潮の線の躍動感が明快で爽快さを表し海鳥が屏風に生命の息吹を与えています。人間にはどうしようもできない大きな力を龍子は描いたのです。

川端龍子は1929年青龍社というサロンを作りました。

「繊細巧緻なる現下一般的の作風に対しての健剛なる芸術に向かっての進軍である。」

川端龍子はアグレッシブな感情と正直な欲望を画面の中に描きました。

初期の川端龍子はゴッホの物真似であるかのような油絵を発表しました。若いころの川端龍子は新聞社に就職し挿絵を描いて画力を鍛えていきました。川端龍子は大衆へ情報発信する仕事に就いていた経験からアイデアを思いつき日本画に転向しました。川端龍子が日本画で発表した作品は「力強く大きな画面」で人の目を引き付けました。

川端龍子は多くの人に見てもらうためには「会場芸術」といって大きな画面で力強くて鮮やかで目立つ絵が良いと考えたようです。従来の日本画は「床の間芸術」と対比されました。

川端龍子は旧態依然とする日本画で目立って儲けようとしていたと思います。川端龍子も人間ですから目立って稼がなければいけません。伝統を重んじる日本画家にしてみれば川端龍子は卑しく映ったのではないかと思います。

川端龍子は中国に渡り日本の飛行機を絵にしました。絵の中の戦闘機に自分自身が乗り込み日の丸の戦闘機の背景には長江の風景が広がっています。
(中国人にしてみれば燃やして処刑したいほど、憎い作品でしょう・・・。)

川端龍子は自分の欲望(目立ちたい、金が欲しい)を否定せずに作品の中に放出したのではないかと思われます。家族の不幸をも芸にする川端龍子はまるで当時卑しいとされていた芸人であるかのようにも見えます。しかしそんな不幸でさえ美に置き換えてしまうのですから、しかも民衆が飢えているときに作品を作る金銭的余裕もあったり、つらいことがあっても自分のための作品づくりに励んでいたようです(もしも飢えた民衆を想うなら高価な画材は使えなかったはずですからそこは日本画家から卑しいと言われても仕方ありません)。

川端龍子は常に自分を表現していたともいえましょう。欲望から離れられない人間の我執を表しているかのようです。

大衆を意識した川端龍子、しかし彼は大衆のことを愛しているというよりもカモとして見ていたと私は思います。いかにしてカモの注目を浴びるか。それは施す愛ではなくて愛を得る欲望そのものだと思うのです。自分が大衆に与えるのではなく、大衆から与えられることを追求した、そのナルシシズムは低俗だと言わざるを得ません。

金閣炎上では(不謹慎にも)赤々と燃える金閣寺を描きました。重要な建築物が燃える様子にわくわくして想像を描きたてられた川端龍子をどう見るかは意見が分かれることでしょう。これが現代なら・・・何を描いていたのでしょうね。少なくとも災害を作品にしてみたらどうなるだろうと考えて世の中の反応を予測してみて袋叩きにあわないエピソードを捜したのではないかと思います。

「これは絵になるぞ!(スクープだ!)」

このように考えた川端龍子の考えはネタを掴んだ新聞記者と同じ感覚だと言えましょう。

そこに他者への思いやりなどかけらもいことは容易に察することができます。しかし新聞や週刊誌の卑しいゴシップを好む人間真理を川端龍子は利用したともいえ、やはり絵で金を儲けるためには日本画家にも卑しさが必要だという結論になったのでしょうか。

富を得た川端龍子の作品は尽きることのない欲望のごとく巨大なものへとなっていきました。誰よりも目立ちたい川端龍子にとって浅草寺の天井画を描くことは願ってもいないことだったでしょう。川端龍子は朝の9時から夜の9時まで創作活動に励みました。

川端龍子の日本画は弟子の高頭信子(2017年時点で存命の人物)に受け継がれました。

※今回はまるで筆者が川端龍子を嫌いであるかのように誤解を受けるかもしれませんが、私が川端龍子を目にしたのは今日がはじめてであり川端龍子のことは名前すらまったく存じ上げませんでした。筆者は好きか嫌いかというところで物を見ているわけではなく、心の本質に迫り龍子が何を考えていたかという本音を分析すると、お世辞にも上品とは言えない日本画家でしたのでそこは正直に述べさせてもらいました。心が卑しくても気高い龍を描けるのですから日本画家など所詮は芸人と同じとみなされても仕方ありません。見ている大衆はそこまで気が付かないか、当時は学の無い人がほとんどでしたから「目立つ=覚えがよい=金になる」という図式が成り立ったのだと思います。卑しい気持ちがなければ絵も高値をつけて大衆に売れないという芸術界の本質に迫ったという意味では日本画の世界に風穴を開けたともいえましょう。

※この文章は持たざる者から見た印象から適当に書いてありますので本気にしないでくださいね。

20170721

池大雅 まだブームが来ていない日本画家 #2

池大雅(Ike no Taiga)

池大雅(Ike no Taiga)
楼閣山水図 左隻(国宝)
Wikipediaよりライセンスを確認して掲載

池大雅(いけのたいが)は江戸時代の文人画家です。1723年に京都に生まれ、黄檗山萬福寺(宇治市)で書を披露して神童と称されました。青年時代は扇などを売りながら生計を立て柳沢淇園らから文人画を学び自らの画風を確立しました。妻の玉瀾も画家です。1776年に56歳で亡くなりました。南画(というより文人画といったほうがいいかも)。

池大雅は前回紹介しました遊び人を極めた英一蝶とは対照的で真面目で堅実な印象があります。当時先進国だった中国に憧れながらも渡航することはできませんでした。与謝野蕪村とも交流があったようです。

本物かどうかわかりませんが、池大雅の書は十万円〜数十万円するようです。意外と安いですね。

池大雅「大雅堂画法」
池大雅「大雅堂画法」

池大雅は技法書「大雅堂画法」を出版しています。松石の手本からはじまり、今の漢字には無い漢字での説明と水墨画の手本が添えられています(すみません、全然読めません!)。後に登場する富岡鉄斎の荒々しい人文画と比べると池大雅の作品は静かに整えられている印象があります。

私は先ほど画風を確立したと書きましたがそれは専門家様の視点です。私の立場からはとてもそんな事は言えませんし言ってはならない気がします。

ど素人の私のイメージでは南画や北宋画の文人画は貴族の思想という印象があって果たして江戸時代の人々に受け入れられたのかどうか疑問です。俗世間から離れた視点が見る者をストレスから解放する、そこまではわかりますが、中国では朝廷を去りながらも心はどこか権力の中枢に向いているような、冤罪や処刑を恐れているものの、お呼びがかかったらいつでも馳せ参じる心意気のようなものが混ざってる気がします。ですので朝廷とはほとんど無縁の我々日本人が中国絵画の神髄をどこまで理解できたのかというと・・・知らない人がほとんどなんじゃないでしょうか。当時は野心のある者が政権に挑むことのない時代でしたから中央を追われた士大夫の心がほんとうに理解できたか疑問です。池大雅のような下級役人の息子、しかも中国との交流のない時代にどの程度の本質への理解があったか興味が湧きました。

やはり本場中国の作品などと比べると日本の水墨画も面白いですね。それで水墨画によく登場するあの山は・・・実はアレ(秘密)なんじゃないかと思ってます。日本の文人画家はその山の正体を知ることはなかったことでしょう。

20170720

英一蝶まだブームが来てない日本画家 #1

英一蝶は未ブームの日本画家

アップルの故スティーブ・ジョブズが蒐集していたことが判明して以来、昨今は猫も杓子も伊藤若冲ですが有名な日本画家の中でまだ一大ブームを引き起こしていない人がいます。それは英一蝶(Hanabusa Icho, またはItcho Hanabusa)です。

Itcho Hanabusa
Wikipediaからライセンスを確かめて表示

英一蝶(はなぶさいっちょう)は江戸時代の日本画家です。1652年に京都で生まれ父は医者でした。少年時代に江戸に移り狩野派に入門して狩野安信の弟子となり2年で破門された後に絵師になりました。しかし画家というものは楽して生きたい部類の人がなるものですから英一蝶もまた例に漏れず遊びに興じるタイプの人間でした。1698年に罪を犯して三宅島に流刑になりました。1709年に江戸にもどり1724年72歳で亡くなりました。

英一蝶
国会図書館からライセンスを確認して転載

英一蝶は江戸の人々に親しまれた画家でした。

英一蝶は俳句や風流が大好きで幼い市川團十郎の手を引いて吉原にも行ったそうです。

大名を巻き込んで吉原で遊びまくっていたので江戸幕府から目を付けられていたようですね。楽しく生き抜きたいという強い意志は誰にも劣らぬものといえましょう。

その作風からは顔料を入手することは難しかったのか、それとも金のかからない描き方が好きだったのかはわかりませんが、あっさりした軽いタッチの作品です。
浮世に自由奔放に生きた英一蝶の日本画はお好きですか?安い物で4万円から、しっかりした作品は数十万円で買えるみたいですね。意外と価値が低いですね。国立国会図書館のデジタルコレクションで英一蝶の図譜が無料で見られますよ。

20170711

胡粉の練り方溶き方 日本画無料講座 第五十八回

日本画での胡粉の使い方

日本画の胡粉の種類と特徴
日本画における本塗り用の胡粉はよくよくすり潰して膠で練って使います。美人画などでは特に胡粉の扱いに厳しいこともあり、しっかりと練って使います。今では吉祥からすでに練られた胡粉が販売されていますので汚れが入ってはいけないような重要な所には既製品を使われることをおすすめします。筆者が胡粉などの白い顔料を練る時に一番気にかけるのがホコリなどのゴミの混入です。指で練っているとどうしてもゴミが入ります。今は昔と違って空気が汚れていますので日本画教室で白色顔料を練るとすぐに真っ白な絵具がゴミだらけになってしまい乾燥する際にもゴミが付着します(老眼の人にはわかりませんが)。胡粉の練り方溶き方はどの本にも同じように説明がなされていますが、筆者が教わった方法はそうではありませんでした。今回は日本で標準的な胡粉の使い方と筆者の実際を交えてご説明したいと思います。

服装や環境を整え手を清める

先に述べましたように、胡粉の仕上がり具合や塗り具合は悲しいことに部屋の中の汚れ具合に大きく影響されます。明るい色調の画面をご制作中の場合にも同じことがいえます。胡粉や明るい顔料を扱う際には決して色の濃い服を着ないようにしましょう。こだわりがない人はどうでもいいかもしれませんが、着ている服のホコリも割と影響されます。正直なところ裸で絵具を練って下塗りをしてもよいくらいです(笑)それくらいホコリというものは溶き皿の絵具や画面に付着しやすいのです。

胡粉を練るために必要な道具類

日本画をお描きのみなさまには説明の必要は無いと思いますが、胡粉を練る際には「乳鉢」というものが必要です。それと絵皿です。乳鉢には大きなものと中くらいのもの、そして小さなものがありますけれど、胡粉を空擦るには大きなものがおすすめです。小さな乳鉢は結構こぼれますし力が入りませんので私も大小持っていますがおすすめはできません。乳鉢の直径は12cm以上あったほうがよいでしょう。
もちろん胡粉と膠液、そして水やお湯も用意しておきましょう。

胡粉の練り方と溶き方の手順

胡粉にホコリという冗談のような本当のことはさておき、胡粉という細かい粒子の顔料の使い方を説明したいと思います。胡粉は塗る前に粒子を潰しておくことが肝心です。

1. 空擦りする

胡粉は玉になって固まっていますので乳鉢などで空擦り(からずり)をしてよく潰します。乳鉢で空擦り(からずり)をしたからといって完璧に潰れていることはありません。少量であれば手で胡粉を擦り潰します。

2. 膠水で練る

胡粉が潰れたら膠水を少しずつ加えて指で練り団子にします。すぐに使う場合は別に団子にする必要はありませんが、指でよく潰しておきます。膠の量は胡粉の三分の二程度です。

3. 団子を叩く(百叩き)

よくある方法ですが、胡粉団子を皿などに何度も叩きつけます。こだわりのある人ほど回数が増えるようです(笑)なぜ胡粉団子を百叩きにするのか筆者も正しい理由は知りません。一説によると空気を抜いて膠と粒子をよくくっつけるらしいですが、筆者の見解ではもしかしたらその後の割れや乾燥時の状態に影響があるから百叩きにしているのではないかと思います。

4. 胡粉団子を湯の中に団子を入れる

胡粉団子に湯を注いでしばらくおいて灰汁(あく)を抜き湯を捨てます。この際に団子が大きければ伸ばして太い麺のようにしておきます。

5. 胡粉団子を腐らせる

さらにこだわりのある方法では一度胡粉の膠を水で腐らせてしまいます。なぜそうするのかについては科学的に証明された理由はありません。一説によるとなめらかに塗れるという説もありますが、筆者の見解ではもしかしたら古糊と目的は同じなのかもと思います。そうすることで作品の保存性が高まるのかもしれませんね。腐敗という工程が加わることで、膜の張り具合も緩くなることでしょう。

6. 水(膠液)で溶いて使用する

好きな量を水または膠水で溶いて使います。膠が腐ったら新しい膠を足しましょう。

7. 作った胡粉の保管について

いたぼ貝やホタテで作られた胡粉(貝殻製)を作った後はラップなどですぐに蓋をしておきましょう。夏場は冷蔵庫での保管がおすすめです。
Youtubeに吉祥のわかりやすい胡粉の溶き方の動画がありましたので日本画の勉強になりますよ。

胡粉(ごふん)の種類と特徴

胡粉には日本が経済成長を遂げてほとんど絶滅したイタボ牡蠣のほかにホタテ貝の胡粉と蛤の胡粉、そしてチタニウムホワイトの胡粉があります。筆者は胡粉を100%の状態でそのまま使うことが無いため胡粉の種類の違いについてはまったく知りません。胡粉はホルベインのほか、ナカガワ胡粉(おそらく本物のイタボ牡蠣を使用)と上羽絵惣(えそう)と吉祥から出ています。胡粉の最上級は「金鳳」と呼ばれ厚みのあるイタボ牡蠣の蓋部のみを使用しています。「白雪」は薄い蓋部のみを使用しています(といわれていますが、筆者が確認したわけではないので他の貝が混入しているかどうかはわかりません)。

1. ホルベインの胡粉

ホルベインは優彩の白鷺胡粉(蛤胡胡粉で空擦りの必要性なし)が販売されています。ホタテ貝の胡粉ように黄変することはないそうです。
ホルベイン 白鷺胡粉 130g 500g
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2. ナカガワ胡粉の胡粉

ナカガワ胡粉の「金鳳(きんぽう」)はイタボ牡蠣の蓋部のみを使用しており下のランクの「白壽印」は百叩きをすれば金鳳に劣らぬ白さが出ると書かれていますが原材料の明記はありません。「白雪」は原料の明記はありません。

3. 上羽絵惣の胡粉

この老舗はホタテ貝を使用と書かれていますので今(2017年執筆時)は残念ながらイタボ牡蠣は使われていません。「飛切(カキ原料)」「白鳳」の順に値段が安くなっていきます。安価な胡粉に「白花」や「白雪」もあるようですが、筆者には違いがわかりません。しかし飛切の価格を見ると品質には自信があるようです。

4. 吉祥の胡粉

吉祥の胡粉は伝統的製法でいたぼ牡蠣を使用しており「白玉」が最上級で次いで「白雲」「盛上」の品ぞろえとなっているようです。

パッケージに「水飛」と書かれている場合は「水飛製法」という製法を用いていると思います。筆者は先生が使っている胡粉と同じ物を使っています。大学では特定のメーカーの物をすすめるということはありませんが、個人の日本画教室では先生のお顔を立てつつ教室ですすめられる胡粉を使われることをおすすめいたします。機会がありましたら胡粉の練り方を実演してみたいと思います。

胡粉団子を作る必要性についてですが、団子ができないくらい胡粉が少量しか要らない場合、団子づくりはどうしますか?小さな作品のためにわざわざ団子を作るなんてすぐに続編を制作するのでなければ顔料と膠がもったいないと思います。そうかといって胡粉を指だけで溶くことには少々無理を感じます。どうしても団子を作らなければならない状況は割と限られています。まずは練習として下塗り用の盛上胡粉などで団子づくりを練習して感覚を掴んでいけばよいでしょう。

裏打ち紙の種類と特徴 日本画無料講座 第五十七回

日本画の裏打ち紙の種類と特徴

楮(和紙)
楮(和紙)Wikipediaより
本日の講座では裏打ち紙(うらうちし)について述べたいと思います。裏打ち紙は和紙や絹などの布に描かれた日本画を補強するために使います。薄美濃紙(うすみのがみ、楮の紙)は裏打ちに最もよく使われる和紙です。細川紙(小川紙のひとつで重要無形文化財)や宇陀紙(楮の厚紙)、美栖紙(みすがみ、楮の紙)も薄手で裏打ちに用いられます。裏打ち紙は色重ねの効果を狙って染色してから貼り付けることもあります。裏打ちは何枚か重ねることもあります。裏打ちにはカビ予防のため古糊(6年ほど寝かせた糊)が用いられます。もしかしたら補強のために紙以外にも絹などの布地を使うこともあるかもしれません。石州紙(せきしゅうし、楮の紙)は耐久性があり表具の下張りに用いられます。泥間合紙(雁皮紙)は耐熱性と虫に強い特徴があります。黒谷の楮紙は屏風の羽に使われます。打紙は湿らせ木槌や打刷毛などを用いて叩いて密度を上げたものを使います(砧打ち)。
薄美濃紙(うすみのがみ)・・・裏打ちの定番の紙です。肌裏とも呼ばれます。
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細川紙(ほそかわがみ)・・・かつては和歌山県の細川村で作られていた技術が江戸中期に埼玉県の小川村に入ってきました。埼玉県の秩父市に和紙の里があり細川紙はそこで見られます。
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宇陀紙(うだがみ)・・・何枚か重ねて裏打ちに使います。総裏ともいわれます。奈良県吉野郡吉野町国栖が産地で工房では体験教室も開かれています。
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美栖紙(みすがみ)・・・中裏または増裏ともいわれます。工房によっては紙に胡粉や澱粉が混ぜられていることもあります。
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楮紙

楮には上記で述べた紙のほかに典具帖紙(てんぐじょうし)や奉書紙(ほうしょし)などの薄紙があります。和紙には澱粉や石の粉末(泥)を添加されたものもあります。
典具帖紙(てんぐじょうし)・・・高知県や岐阜美濃が産地です。
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英語では和紙のことをJapanese tissueと呼びます。楮はそのままKozoと書きます。紙は中性紙を用い酸性紙は保存に向かないため用いません(すぐボロボロになります)。

20170710

日本画の支持体-和紙・板・絵絹・麻・石 第五十六回 日本画無料講座

日本画の支持体(和紙・板・絵絹・麻・石など)

今日の日本画無料講座では日本画の支持体(絵具を塗布する面の素材)について述べたいと思います。現代の日本画ではほとんどが機械漉きの和紙が用いられています。仏画では絵絹や麻などの織られた布を用いることがあります。たまに木の板に描かれることもあります。フレスコ画のように石や土や貝殻に直接絵を描くこともあります。ほかには皮革に絵具を塗ることもありましょう。これらの素材のことをまとめて支持体(しじたい)または基底材(きていざい)と呼びます。

和紙に描く

たいていの美術学校や日本画教室では日本画というものは和紙に描いて表現します。水で湿らせた和紙を木の板に張ってから下処理と下塗りや転写(トレース)の工程を経て絵具を塗っていきます。和紙の種類は原材料や漉く方法によりさまざまなものがあります。和紙の厚さも薄いものから厚めのものまであります。制作後にパネルから和紙を剥がして軸装(じくそう)する場合もあります。軸装の欠点は巻いて片付けると絵具が剥落(はくらく)しやすい、またはカビが生じやすいですが飾りっぱなしでは空気中の物質が付着して変色しやすいというデメリットがあります。パネルに和紙を張り付けたままでは高温多湿で木材のヤニや薬剤が和紙に移るという欠点があります。紙に描かれた作品を紙本(しほん)といいます。

著色明恵上人樹上坐禅像 紙本
(Wikipedia.orgより)

木の板に描く(板絵)

和紙が普及する前までは襖(ふすま)といえば昔は木製の襖が防寒や防雨も兼ねて用いられていました。日本画はこのような戸板(といた)に直接描かれることもありました。木の板に描かれた日本画を板絵(いたえ)といいます。あるいは寺社仏閣の意味のある装飾として柱や天井などに着色されることもあります。木の板に日本画を描く欠点は、剥落しやすかったり降雨や風、紫外線などの劣化要因に常に晒されるなどして定期的な塗り替えが必要なところです。板に直接日本画を描く場合はヤニ止め(シーリング)を行います。

板絵(いたえ)の耐久性は高温多湿や微生物に触れやすい環境に晒されていることもあり布に描かれた日本画より劣ります。

2017年になり液体ガラスというものが日本で発明されました。もしかしたらこのような液体ガラスを日本画の表面に塗布すると保存期間が延びるかもしれませんね。

杉板(すぎいた)

杉の木はまっすぐで美しく加工が容易ですが節やヤニや年輪が目立ち水分が減ってくると木質部が薄くなって歪んでくるという特徴があります(筆者の経験)。長い目で見れば杉板は柔らかいため建築資材としては適していないと思います。杉板に描かれた日本画もいくつもありますが、耐久性の面では密度の高い木に劣ります。

欅(けやき)

欅は密度が高く硬さもあり高級資材として昔から重宝されている木材です。楢(なら)やウォルナット、タモの木も欅と同等の耐久性があると思います。もしも木の板に絵を描くのであればこのように硬さもある歪みの少ない木が適しています。

檜(ひのき)

檜(ひのき)は杉よりも密度があり、スギとケヤキの中間程度の硬さです。

鳳凰堂中堂壁扉画
(Wikipedia.orgより)

布に描く

日本画は布にも描くことができます。古くは麻やカラムシ(苧麻・ちょま)に絵を描いていた時代もありましたが絹が国内で自給できるようになった平安時代からは絵絹(えぎぬ)が主流となりました。博物館などの説明によくある絹本(けんぽん)は絹に描かれた作品のことです。絵絹の織り方は昔と現代とでは異なります。麻や絹の布は砧打ち(きぬたうち)といって槌で叩いて滑らかにします(糸の繊維が延びたり潰れます)。

群鶏図
絹本彩色
伊藤若冲
(Wikipedia.orgより)

石に描く

岩や漆喰やモルタルなどの壁に絵を描きます。酸素が少ない低温の状態であれば後の時代まで保存し続けることが可能です。和紙の上に白土や胡粉で下塗りすることや仏像への彩色も本質的には薄い壁に描いていることと似ています。

高松塚古墳
(Wikipedia.orgより)