20161224

残酷な美術公募展という幻想 日本画無料講座 第五十回

公募展が日本のアートをダメにしている!?

世の中でアートといえば賄賂を使い巨大公募展で何度か入選した芸術家と、著名になりメディアに露出した(自称も含まれる)アーティストと、オークションで高値が付いり歴史的に高名になった作品だけが芸術のメインストリームとなっていいます。

メディアへの露出を増やすことで芸術家を装うことは「さむら何とか」という詐欺師でも可能ですから絵画の世界ならお金の力で誰かに絵を描かせて詐欺師でも芸術家となることも簡単でしょう。現に贋作を作る職人も日本だけでなく中国でも多く働いています。

アートと呼ばれる作品を見ていると頭がおかしくなりそうなくらいに考え込まれて作られたもの、そもそも脳に病気や障害のある人によって作られたもの、何らかの魔法で特別に引き立てられた芸術家様が作られたものとに分類されているような気がします。平凡な作家は無理してクレージーな模倣をすることで評論家に認められ、どや顔で飯を食べている。

とてもまともな人にはできないようなアートや不正に引き立てられたようなアートが現代では高評価となっているように思います。

じゃあ割とまともな人(常識に縛られた愚者)は起死回生をするチャンスがないのでしょうか。

世の中は残酷なものでまじめに努力した人が報われない世界が日本画にもあるように思います。日本画家がまじめにやるのは賞をとって食べられるようになってから。

もともと現代アートというものはヘンテコでクレージーなものだから、審査員にすべての美術史を知っている人を迎えない限りは公募展で優劣を決めることはまったくの無意味です。

インチキで利権を得た関係者がアーティストに足の裏を舐めさせて甘い汁を吸っている話を聞いたことがあります。ある人は自分を引き立ててくれた恩人殿の靴を舐めたと冗談交じりに言っていました。もしかしたらもっと卑猥な出世の条件もあるかもしれません。

世の中の芸術とは所詮この程度のものであり、愛だの優しさだのが本当に求められる清い精神(という建前)に対しては公募展は残酷であり実際に日展では汚れた人たちが公募展を運営・審査しています(筆者も関係者にその後もまだやってると聞いたことがあります)。

公募展の評価を信じるな

公募展の本質は受賞者にとっても運営者にとっても金目の価値しかない本質的には芸術ではない利権イベントです。

経歴だけで芸術家を評価してはいけない

大きな展覧会に入選を繰り返したり入賞したことを理由に芸術家を評価してはいけません。本物の無名の芸術家がかわいそうです。テレビに繰り返し出ている芸術家は佐村河内のような詐欺師の可能性もあるのでメディアへの露出や学歴を芸術の評価の基準としてはいけないと思います。目立てばお金持ちからの覚えがよくなることも事実ですが・・・。

美術館に行ってしたり顔は愚の骨頂

読めもしない古文書の博物展ですら行列を作ってしたり顔で鑑賞している私たちです。見てもわからない物を見て何を得たというのでしょう。すごい物を見に行ったという漠然とした事実と満足感のどこが作品を心から理解したといえましょうか。

ほとんどの観客は金銭的価値のあるお宝を見に行ったという程度の感想しかないでしょう。もはや芸術を鑑賞する時ですら自分の正直な気持ちが消えてしまっている時もあります。

ゴミに見えたわけのわからない物やただの模様と思えた作品に偽りの気持ちを隠してはいないでしょうか?そんな有名な作品を無条件で崇めていること自体が作品への冒涜であるように思います。無知による兼悪心や、好き嫌いがあって当然です。あるいは数年後にはそれほど好きではなくなることもあります。同じ作家だって得手不得手があり作品のクオリティーにも当たり外れがあります。

日本の芸術は死んでいる?

美術展覧会(公募展)という利権イベントはなくなればいいのにと思います。都道府県以下の公募展は競わせること自体があまりにも無意味であり、地方の公募展はむしろ家族や地域のコミュニケーションの場であるからそもそも優劣を競う必要はないでしょう。

芸術の振興とはそんのような形式的で小手先の無感情な施策で実現できるものではありません。みなさんもこれ以上つまらない公募展に金目か名声欲に負けて応募しないようにしましょう。芸術家が向き合うべき相手はそこ(賞という欲目金目のもの)ではない。芸術の分野でもスポーツの世界と同様に有力者が利権を独占し権威ある者への賄賂や何等かの物的・精神的・肉体的な欲望を満たさない限り邪魔者は疎外されています。この現実、つまり権力との強い結びつきこそが横山大観や黒田清輝などが目指した理想の世界の裏の顔でもあります。芸術家だから人格が高潔?むしろその逆ですよ。犯罪者でも歴史に残る芸術家になれる、これが真実です。偉そうに聖人面ができるのは特別な利権で守られた悪人だけです。

もしも賄賂で芸術家への道が開けるとしたら、あなたは悪魔に魂を売りますか?

※この文章はデタラメ創作なので信じないでくださいね。

20161209

日本画教室の選び方 日本画無料講座 第四十九回

よくわかる日本画教室の選び方

日本画をはじめようと思う方のはじめの第一歩、日本画教室の選び方です。日本画教室の選び方を間違うと、一生日の目を見ない人生となる可能性がります。

日本画教室には二つのタイプがある

日本画教室の種類には、大きな二つの特徴があります。それは既に成功された先生本人が開設なさっている日本画教室、次に、先生のお弟子様が日銭を稼ぐためや生きがいを求めて開いているローカルな教室です。

ただ楽しく過ごしたいだけの方におすすめなのが、地方の日本画教室です

日々の生活を豊かにする発見を日本画を通して学びたいのであれば、無名の方が教える日本画教室がおすすめです。そこでは競争もありませんから、雰囲気も落ち着いており、ただ絵を楽しみたい方におすすめです。そのかわり、手取り足取り才能のない日本画家の指導を受けることになりますので、将来への展望はありません。

プロ志望の方におすすめなのが、日展・院展に入選しまくりの日本画教室です

上昇志向の方におすすめなのが、成功なさった日本画家に師事することです。もちろん画風がありますから、その先生は自分にできることしか教えられませんので、先生と同じ作品が描きたい場合におすすめです。お金があれば、個人レッスンも受け付けてもらえます。実力がつけば、賄賂次第で画家になれることでしょう。身分階級による特別な縁故があるか、片岡鶴太郎のようにたくさんお金を払える人が、画家になりやすいです。嫌味を言ってるように思われるといけませんので、片岡鶴太郎の日本画、私は好きですよ(昔はギラギラした目が嫌いでした)。

お金が余っている方は、四年生大学の通信教育の日本画コースがおすすめです

ご職業をお持ちの方で、人生を豊かにしたい、老後は絵を売ってみたいので今のうちに美術を学びたいという社会人の方におすすめなのが、四年制大学の通信教育で日本画を学ばれることです。既に身を立てられている方におすすめのコースであり、どうしてもさぼりがちになりますので若い人には高い失業のリスクがあるコースです。自我が確立されている方が得するおすすめのコースです。まだ青いお子様は、強烈な個性をもつ先生にあしらわれ、百戦錬磨でリッチなおじさんおばさんおじいさんや奥方が先生のまわりを取り囲んで離さないため、将来を求める若者は教室の隅に追いやられ無能と化するリスクが高いです。未成年の方は無理をしてでも全日制に行かれることをおすすめします。

将来を重要視しないのであれば、大学で日本画を専攻されることをおすすめします

若い方の将来について、無職や低収入になるリスクを受け入れられるのであれば、四年生大学で日本画を学ばれることをおすすめします。女性で縁談や婚約が決まっておられる方にもおすすめのコースです。宗教や身分の高低に関係なく、親が既得権をお持ちの方に、おすすめのコースです。少々ひねくれた見解ですが、四年生大学の日本画コースで気に入られる子は細身の顔立ちが整った控え目な優等生タイプが多いように見受けられます。自我が確立しており自立心旺盛な方や、他人から愛されないタイプの人、迷いがありすぎてお悩み中の方は、このコースでは無職になるリスクが高いです。もちろん先生も欲深い方々が多いですから、それ相応のごますりが必要です。ごまをすってるうちに無能と化すこともありますので、本分を忘れないよう励みましょう。

モチベーションがあるなら独学もおすすめです

結局はモチベーションの問題です。やる気があれば、なんでもできるのです。ただし、日本画で成功するには成功のための人脈が必要です。日本画家といえば無欲で禅的なイメージがありますが、実は誰よりも強欲じゃないとできないものなのです。迷いがあっても四年生大学の日本画コースは卒業できますけれど、欲深くて狡猾な人ほど早く絵で生活できて、悩み深い人は大器晩成型、無欲な人は死後の評価になりがちです。

※このコラムは冗談半分のデタラメなので信じないでくださいね。